雪国から届いた心温まる感動のドキュメンタリー
ポレポレ東中野、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中!!
ナレーション:小林薫
出演:井山計一・草間常明・秋田治郎・長嶋豊・荒川英二・桐竹紋臣・井山多可志・菅原真理子・長坂晃・長坂和佳
監督:渡辺智史 / 撮影:佐藤広一/ 構成:黒沼雄太 / ディオス中野坂上スタジオ / 音楽:後藤輝夫(sax)・佐津間純(guitar)(亀吉レコード)/ アドバイザー:いしかわあさこ / 2018年 / 日本 / Blu-ray・DCP /カラー/87分 / 製作 いでは堂 / 配給 株式会社UTNエンタテインメント
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【5月9日(月)~5月16日(月) 】YUKIGUNI NIGHT (井山計一さん一周忌追悼企画)開催
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平成が終わるという大きな節目の今年、くしくも誕生から60年を迎えるスタンダードカクテル「雪国」。1958年度にサントリーの前身・壽屋のカクテルコンペで優勝したカクテルは、いつしか日本各地のバーテンダーの中で愛され、作られ続けてスタンダードカクテルとして知られるようになる。BARは人なり、あるBAR評論家が残した格言。この言葉を体現するように、井山計一さんのカクテルを飲み、話を聞くため、全国からカクテルファンが訪れる。その姿はまさに、カクテル巡礼とも呼べる光景だ。誕生から60年を迎えるカクテル「雪国」の誕生秘話、時代を超えて愛されるカクテル、そのグラス越しに映る井山さんの半生、撮影中に最愛の妻を亡くし、別れを機に家族との絆を取り戻していく姿、激動の時代を経ても古びない「美しさ」「愛おしさ」をめぐる珠玉の物語。 本映画を監督したのは、「よみがえりのレシピ」「おだやかな革命」で知られる山形県在住の映画監督の渡辺智史。撮影には2年半の歳月をかけ、今年92歳を迎えた現役バーテンダーの型にはまらない人生の輝き、魅力を余すところなく描いている。
カクテル「雪国」について
- ウォッカ・・・・・・・・・・・2/3
- ホワイトキュラソー・・・・・・1/3
- ライムジュース(コーディアル)・2tsp
- ミントチェリー・・・・・・・・1個
- 砂糖・・・・・・・・・・・・・適量
◯カクテルグラスの淵をレモンで濡らし、砂糖でスノースタイルにする。
材料をシェイクして注ぎ、ミントチェリーを沈める。
1951年9月4日、京都府生まれ。71~80年まで唐十郎主宰の状況劇場に在籍。退団後、映画、ドラマ、舞台、CMなどで幅広く活躍。「美の巨人たち」(TX)ではナレーターを務めている。「それから」(85年/森田芳光監督)で日本アカデミー賞やキネマ旬報などの最優秀助演男優賞、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2007年/松岡錠司監督)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。またテレビドラマでは「深夜食堂」シリーズ(MBS/TBS、NETFLIXほか)をはじめ、大河ドラマ「おんな城主 直虎」(NHK)、「ハゲタカ」(EX)、「僕らは奇跡でできている」(KTV/CX)などに出演。映画では「泣き虫しょったんの奇跡」(豊田利晃監督)、「夜明け」(広瀬奈々子監督)、「ねことじいちゃん」(岩合光昭監督)などがある。
大正15年生まれ。20歳の時に終戦を迎える。戦後の物が不足した時代に様々な仕事に従事、故郷の山形県・酒田市ではいち早くプロのダンス教師として開業。その後は一念発起して27歳にして仙台へバーテンダー修行へ。戦後直後の日本の酒場風景、混沌とした時代の中で腕を磨いた。1959年壽屋(サントリーの前身)主催の全日本ホーム・カクテル・コンクールにて「雪国」を出品、グランプリ受賞。81年全国バーテンダー技能コンクールにて創作カクテル部門で優勝。92歳・現役バーテンダーとして故郷の酒田市にある「ケルン」でカクテルを作り続けている。
北海道小樽市出身。高校卒業後、赤坂の「レストラン・シド」に3年間勤めたあと、帝国ホテルに29年間勤めて独立し、「The Bar草間GINZA 」を開業。
父親の意思を引き継ぎ、「Bar門」でバーテンダーの仕事を覚える。Bar門は、カクテル・洋酒を広めようという思いから、49年に先代の長嶋秀夫さんによって命名された。
80年に秋田県にかほ市で唯一のバーとして「カクテル・ジロー」を開業。井山計一さんと出会い、オリジナルカクテルの創作に没頭し、数々の大会で受賞。喉頭がんが見つかるが手術で一命を取り留める。
大阪・北新地のBar UK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、バー文化とクラシック・カクテルの研究もライフワークにしている。定年退職後に「Bar UK」をオープン。
山口県萩市出身。87年、国立劇場文楽第12期研修生となる。89年に桐竹紋寿に入門し、 桐竹紋若と名のる。2002年 8月、桐竹紋臣と改名。仙台で公演があるたびに、酒田まで足を伸ばしている。
井山家の長女として生まれる。高校卒業後に短大進学のため上京。父の仕事を手伝うため、卒業後に酒田に戻る。その後、酒田の専業主婦として老舗時計店「港屋」に嫁ぐ。
井山家の長男として生まれる。高校卒業後に上京。渋谷にあるロック喫茶「BYG」に勤める。酒田大火を機に、父親の仕事を手伝うため帰郷。毎朝、ケルンの店内でコーヒー豆を焙煎している。
ともに酒田市出身。長坂さん夫妻は、中学時代からの仲良し。二人とも高校時代から喫茶ケルンに通っていた。40代で再会し結婚。カクテルとマスターの話を楽しむため、月に1回は必ずケルンを訪れている。
山形県鶴岡市生まれ。東北芸術工科大学デザイン工学部環境デザイン学科(現、建築・環境デザイン学科)卒業。卒業後上京し、ドキュメンタリー映像制作に従事する。在来作物に光をあてたドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ 」(2012年)は、香港国際映画祭、ハワイ国際映画祭に招待される。17年には全国各地の自然エネルギーの取組みに密着した「おだやかな革命」が公開。地域課題に真摯に向き合う、ソーシャルデザインとしての映像制作を探求している。有限責任事業組合いでは堂、共同代表。
山形県天童市生まれ。1998年、日本ビクター主催の第20回 東京ビデオフェスティバルにて、短編映画「たなご日和」でゴールド賞受賞。代表作に、「隠し砦の鉄平君」(BBMC)、DVDドラマ「まちのひかり」(エール・フォーユー)など。現在、テレビCMのほか、劇映画等も手がけている。ドキュメンタリー作品では、「無音の叫び声 ~農民詩人 木村迪夫の牧野村物語~」(原村政樹監督)、「おだやかな革命」(渡辺智史監督)、で撮影を担当。自身が監督した「世界一と言われた映画館 」(ナレーション/大杉漣)は、山形国際ドキュメンタリー映画祭2017で初公開され、2019年全国公開予定。
1984年生まれ。中央大学、東北芸術工科大学大学院で人類学を専攻。自然資源に依拠した暮らしをテーマに、フィールドワークを行なう。卒業後、都内の映像制作会社に勤務。8年間、情報・ドキュメンタリーを中心に、多様な人の暮らしの姿を伝えるテレビ番組や映像コンテンツを幅広く制作。現在は、WEBサイトやPR動画を製作する会社員として働きながら、映像作家・スクリプトドクターとしても活動中。「『伝えたい』が 『伝わる』構成」をモットーに様々な映像制作に関わっている。
http://mogura.strikingly.com/
1959年神奈川県金沢文庫で生まれ、鵠沼海岸で育つ。幼少期に家族でハワイに2年間過ごし、異国で観た映画「メリー・ポピンズ」、エルヴィス・プレスリー、アメリカンフットボールのハーフタイムショー等が今の原点。芸術関係の舞台裏に憧れ、相模工業大学(現、湘南工科大学)を卒業後アオイスタジオに入社し、さらに音の世界にのめり込む。2000年に仲間と録音スタジオ兼音楽&効果の事務所ディオス(中野坂上スタジオ)を設立し、音楽や映画、予告編、TV、VP、CM、ゲーム等の音作りを行なっている。
1953年山形県酒田市生まれ。東京の美術大学で写真を学ぶ傍ら、サークルでSAXを吹く。その後、当時全盛を極めていたFolk系、New-Music系、Pops系歌手のツアーやレコーディングに参加するようになる。さまざまなアーティストのサポートミュージシャンとして活躍すると同時に、自身の音楽の原点であるJAZZの演奏活動も精力的に行なう。これまでにファーストアルバム「GO TO」をはじめ6枚のアルバムを発表している。
http://goto-teruo.com/
1982年生まれ。神奈川県鎌倉出身。13歳でギターを始める。土屋秀樹氏、道下和彦氏、岡安芳明氏等に師事。洗足学園大学ジャズコース卒業。バークリー音楽大学卒業。2012年、後藤輝夫氏(サックス)とのデュオによるアルバム「But Beautiful」(亀吉レコード)に収録した「Teach Me Tonight」が第20回日本プロ音楽録音賞のベストパフォーマー賞 を受賞。13年、佐津間純としてのデビューアルバム「JUMP FOR JOY」(What’s New Records)をリリース。これらの楽曲は本作でも使用されている。現在は東京、神奈川を中心に全国で精力的な演奏活動を展開中。
http://junsatsuma.com/
三宅唱監督にこの映画の話をいただいたのが2015年の11月。撮影をしたのが2017年の6月。出来上がったのが今年の2月です。本当に出来上がるのかな、と思うくらいの時間をかけて出来上がりました。「キミトリ」の「僕」という役が決まってから監督と過ごした濃密な時間が映っています……。やーしかし公開するのは本当に嬉しいことですが、僕の中の「僕」が終わってしまうようで少し寂しくもありますな。よろしくお願いします。
今でもあの函館のニオイを思い出します。潮と夕日が混じったようなニオイと、酒のニオイと、朝方のニオイ。静雄が嗅いだであろうニオイを嗅ぎながら毎日現場に通っていました。三宅さんが作る現場は台本の空気そのものでした、佑さんと石橋さんとプラプラしながら、酒を交わし、カメラが回っていました。僕と佐知子と静雄が、日々の時間を忘れるような時間が流れたり、ヒリヒリとした時間が流れたり、何かから逃れようとする時間が流れたり、我々が肌で感じた心地の良いある種のエモい青春を、三宅監督は1番いい形で映画にして閉じ込めてくれました。皆様本当にスクリーンで味わって欲しいです。日々に一息つくつもりで、ヒヤヒヤして帰って欲しいです。よろしくお願いいたします。
自分の大好きな作品が公開されることになり、本当に嬉しく思います。函館での撮影はとても濃厚で、贅沢な時間でした。三宅監督が大きな器になり、その中で自由に泳がせてもらったような感覚です。柄本さんと染谷さんが“僕”と“静雄”として強く存在されていたお陰で私は佐知子としてそこに生きる事が出来ました。登場人物が皆、函館の柔らかい光の中で輝いています。ぜひ劇場でご覧ください。
佐藤泰志が小説で描いた「生の輝き」を映画で表現しようというのがこの映画の挑戦でした。
素晴らしい環境を用意してくださった函館の皆さん、心から尊敬する役者・スタッフらとともに、いま振り返ると自分がちょっと恥ずかしくなってしまうくらい、とにかく無我夢中でつくることができました。
映画館の暗闇で、美しい夏の光や音を感じながら、この映画のなかで生きるかれらとともに、かけがえのない時間を過ごしてほしいと思っています。そして、誰かにとって、この映画がまるで親しい友人のような存在になることができればと願っています。